エッセイ かなしさ Posted on 2020年1月9日 by 瑞月 当たり前の話だけれど、人間はそれぞれに「かなしさ」を持っていると思う。そうであるにも関わらず、日々を過ごしていることはすごいことだなと思う。 当たり前のように笑顔で過ごしている人の「かなしさ」に触れると、それこそ感動を覚...
エッセイ 本を読む Posted on 2019年12月30日 by 瑞月 何を以て「本を読んだ」とするかは、なかなか難しいと思う。「内容の理解」という定義は、そもそも「内容」と「理解」の定義が困難な一方、「文字を目で追う」ことを以て読んだと主張することは困難に感じる。 東洋に「素...
エッセイ 組織と人と Posted on 2019年12月27日 by 瑞月 あまりにも陳腐な話なのだが、「組織に合わせて、人を配するか」「人に合わせて、組織を配するか」という考え方があるとする。組織とミッションが先にあって、それに人を当てはめることを通じて、人を活かすか。人を活かすために組織やそ...
エッセイ 気持ちよさ Posted on 2019年12月23日 by 瑞月 もう10年近く前になるが、ある人に「あなたが言う、よい生き方とはなんですか?」と問われた。「嘘をつくことは悪いことですか?たくさんの異性と付き合うことは悪いことですか?」、「古典に書いてあることが、よい生き方ですか?」と...
エッセイ 規範 Posted on 2019年12月15日 by 瑞月 周囲に規範があった方が幸せか、無い方が幸せか、というのは状況に依ると思う。規範の強さにも依っていて、非常に強い規範に対して屈しないということは人間には難しいので、それが救いになることもあれば、規範が人を押し潰すということ...
エッセイ アート、もしくは嘘 Posted on 2019年12月13日 by 瑞月 「形にした瞬間に、圧倒的に嘘。絶対に嘘です」と、あるアーティストの方は言った。 アーティストは、その人が内部に描いている何かを形にするのだろうと思う。しかし、世界に生み出され、現実に晒された形は、「そのままの姿」ではない...
エッセイ 袂別 Posted on 2019年12月10日 by 瑞月 袂(たもと)を分かつ、もしくは袂別(べいべつ)という表現がある。 論語の子罕第九に、共に学ぶことはできても、共に歩いていくことができるとは限らないという。さらに、共に歩けたとしても、共にひとところに立てるとは限らない。共...
エッセイ 差異と認識 Posted on 2019年12月4日 by 瑞月 人間は、というより人間の脳は差異・差分によって物事を認識しているという。「一点を見つめる」という表現はあるが、完全に眼球運動を止めた状態で、周囲の環境の光も変化しない場合は、徐々に脳は像を結べなくなり、真っ暗になる(そう...
エッセイ 環境 Posted on 2019年11月12日 by 瑞月 人にせよ、組織にせよ、内的に変化することは困難で、基本的には環境によって変わるものだと思う。同時に、変化というのは基本的には不快なので、変化それ自身に目を向けると反応を誤りやすいと感じる。 一義的には「変化...
エッセイ サイバネティクス Posted on 2019年11月10日 by 瑞月 情報化、デジタル化と言われて久しいが、20世紀の中葉に情報・通信の理論化が始まった時点で、それが極限まで突き詰められていくことは予感されていたとも言える。 理論を推し進めることは、近代、そして科学の宿命だと思う。 &nb...