知りたい気持ち

ものすごく幸運なことなのだと思うが、生きることには疑問を感じても、学ぶことにはあまり疑問を感じたことが無いように思う。もちろん、下らなさを感じることが無いわけではないが、「1+1=2」ということですら難しいのだから、どん...

ミス

個人の責任でミスが発生すると思うほど、僕は人間というものを信頼していない。ミスが発生するのは、ミスを引き起こす要素があるからであり、それが完全に個人に帰属するということはありえないだろうと思う。 ミスはミスが起こる構造の...

気付く精神

事業そのもの、発見そのものはもちろん尊いのだが、それから何かを学ぼうと思った時には、その事業や発見を生んだ精神を知りたいと思う。 それを為したい、それを知りたい。そこに想いが至る、そこに気付くというのは、ある種の必然によ...

空気

「空気がある」ということを考えた人はすごいなと思う。あまりに当たり前にありすぎて、まず存在を認知するのが難しい。   水に潜ると呼吸ができず、苦しい。この事実からは「水がある場所と無い場所は何かが異なる」という...

思考とデザイン

思考という行為は現実を超えるところに価値がある。頭の中(というのは比喩的な表現だが)にあるものは、いわゆる論理的と呼ばれるものであっても、空想・妄想と呼ばれるものであっても、想像の産物である。 思考は想像であることに意味...

ヒント

ヒントを伝えることは、正解を教えることよりも難しい。(現実にはあまり想定しづらいが)仮に「正解」が1つだけある問題を考えた場合、正解に至る道筋は1つではないだろう。 まずはどの道筋でヒントを出すべきかを考える必要がある。...

量子力学的

デカルトであったり、古典力学であったりの恐ろしいところは、その近似が人間にとってわかりやすい点だと思う。 結果には原因があり、それらは対になっている。分解と統合は可逆的である。これらは思考操作という、厳密性の低い脳内では...

健康であったり、病気であったりに関する議論はたくさんあって、「病気 = 身体が有している恒常性と現実生活にギャップが生じている状態」として、むしろ生活に関する振り返りと変化・発展の機会とする考え方もある。 それだけ、病に...

コミュニケーション

コミュニケーションが目的なのか、手段なのかというと、僕は「手段」だと思っている。理解についても同様で、理解はそれ自体が目的になることは稀で、ほとんどの場合は手段だと思う。 単純に、コミュニケーションや理解を目的にしてしま...

扉が開かない時に、人は感覚的に「扉が壊れている」と思ってしまいがちだと思う。実際には扉が壊れていることはほとんどなくて、開き方が間違っていることが多い。 扉というのはただのメタファーで、霧というのか、無明というのか、そう...