エッセイ 乖離 Posted on 2019年3月10日 by 瑞月 月並みな話なのだけれども、不意にとても寂しくなったり、孤独を感じるということがある。 もともと人間は孤独なのだと思っていることもあり、その感情は戸惑いとともに訪れる。誰でもそうなのかはわからないが、少なくとも僕の場合は、...
エッセイ 社会的参照 Posted on 2019年2月25日 by 瑞月 最近知り合った方が発達心理学を専攻しており、乳幼児の「社会的参照」をテーマとしているそうで、少し話を聞いた。社会的参照というのは、二者間(例えば、「母親と子ども」など)ではなく、三者間(例えば、「母親と子どもと、母親の友...
エッセイ 直観と意志 Posted on 2019年2月18日 by 瑞月 愛とは、直観と意志である、と思っている。必ずしも出会った瞬間に来るわけではないので、意外と直観であるということがわかりづらいこともあるが、愛するという行為には、確かにそうなるだろうという直観、確かに愛してしまうだろうとい...
エッセイ 見えないもの Posted on 2019年1月24日 by 瑞月 ラーメンズのコントに「不透明な会話」という作品がある。別に作品の主題とは関係ないのだと思うが、「見えないものは無い」のか、というのは大切な問いなのではないかと思っている。 実際のところ、人間は「見えないものは無い」と思っ...
エッセイ 意味を問うこと Posted on 2019年1月15日 by 瑞月 言語化する必要があるかどうかは別にして、自身が取り組んでいることの意味を深く認識することは大切だと思う。かつ、なるべくなら、それが純粋なもので、その純粋さに生命や精神を沈めていけると良いなと思う。 『韓非子...
エッセイ 智慧と愛 Posted on 2019年1月11日 by 瑞月 仏陀の精神、この仏教の真髄を成すものはなんであるかというと、「般若(プラジュニャ)」と「大悲(カルーナ)」である、と鈴木大拙は『禅と日本文化』の中で説明している。 その本質を捉えることは困難であるという前提の下で、ものす...
エッセイ 認知的柔軟性 Posted on 2019年1月7日 by 瑞月 子どもにとって、洋服と、ワンピースと、パジャマは、別のものらしい。考えてみれば、当たり前なのだが、1つ1つの対象を記憶していく際に、それに複数の名前があるという概念は、なかなかに複雑なのだろうと思う。 「わ...
エッセイ 間違えること Posted on 2018年12月29日 by 瑞月 友人から、最近の塾の中には、勉強はコンピュータが指導するものであり、少なくともアルバイト社員は、勉強について口出ししてはいけないという仕組みを持つものがあるという話を聞いた。 タブレットに向き合って問題を解き、回答に応じ...
エッセイ 政治学 Posted on 2018年11月12日 by 瑞月 博士課程で政治学を専攻している友人が、「効率の追求も、幸福の追求もできない政治学を探究していくことの難しさを感じる」と言っていたことが、なんとなく心に残っている。 「政治学」とは、政治を対象とする学問分野ら...
エッセイ 知らない範囲 Posted on 2018年10月31日 by 瑞月 数年前、人工知能というのか、機械学習というのか、ビックデータというのか、単なるコンピューティングというのか、そういうものが流行り始めた頃、プログラムにいろいろなことを考えさせることがブームになった。 その1つに、「コンピ...