エッセイ 回路 Posted on 2019年10月30日 by 瑞月 簡単に言えば、「慣れ」ということなのだろうと思うが、人間の身体であったり、思考であったりは環境に適応して硬直しやすいものだと思う。 神経回路に限らず、物事はエネルギーがもっとも低い状態で平衡しようとする傾向があるので、「...
エッセイ 在り方としての技術 Posted on 2019年9月30日 by 瑞月 現代技術のうちに存する開蔵は一種の挑発[Herausfordern]である。この挑発は、エネルギーを、つまりエネルギーそのものとして掘り出されうるようなものを引き渡せという要求[Ansinnen(無理難題)]を自然にせま...
デザイン行為 都市計画への関心 Posted on 2019年9月25日 by 瑞月 「ニューヨークの摩天楼は小さすぎる。十分な大きさではない(とはじめて見たル・コルビュジエ氏は語る)。大きく、そしてもっと間をあけなければならない」。(『伽藍が白かったとき』より) (磯崎新 「ル・コルビュジエに関する七つ...
エッセイ 麻痺と調和 Posted on 2019年9月23日 by 瑞月 人間に限らず、あらゆる動物がそうなのかもしれないが、少なくとも人間は麻痺していないと、とても生きていられないと思う。 麻痺というより、「知覚や感覚、感情の遮断」というくらいの方が正しいかもしれない。そもそも脳は、受信する...
デザイン行為 都市、混沌、技術とデザイン Posted on 2019年9月17日 by 瑞月 Laymen like to charge sometimes that these designers have sacrificed function for the sake of clarity, because...
エッセイ 不用意さ Posted on 2019年9月13日 by 瑞月 それなりに気を付けてはいるつもりなのだが、気付かないうちに、不用意に、何かを大切にしたいと思ってしまうなと思う。あらゆるものは、指の隙間からこぼれ落ちていく。こぼれ落ちるのを悲しいとか、寂しいとか、いっそ醜く執着する気持...
エッセイ 永久的 Posted on 2019年9月10日 by 瑞月 人間というものは不安だからなのか、永久的なものを求めてしまうと思う。 永久的であるということと、不変であることはイコールではなくて、東洋では「変化」こそ永久的であると捉える傾向がある。中国の革命思想ほどドラ...
エッセイ 過ぎ去るもの Posted on 2019年9月6日 by 瑞月 諸行無常、という。『平家物語』の有名な冒頭にも現れる。言葉としては10代の頃から知っているし、なんとなくそうなのだろうとも思う。 最近、物事が過ぎ去るのが早いと感じる。変化も早いと感じる。これはおそらく、僕...
エッセイ 知りたい気持ち Posted on 2019年8月31日 by 瑞月 ものすごく幸運なことなのだと思うが、生きることには疑問を感じても、学ぶことにはあまり疑問を感じたことが無いように思う。もちろん、下らなさを感じることが無いわけではないが、「1+1=2」ということですら難しいのだから、どん...
エッセイ ミス Posted on 2019年8月21日 by 瑞月 個人の責任でミスが発生すると思うほど、僕は人間というものを信頼していない。ミスが発生するのは、ミスを引き起こす要素があるからであり、それが完全に個人に帰属するということはありえないだろうと思う。 ミスはミスが起こる構造の...