予想する思考、仮説する思考

数学において、「予想」とは未だ真とも偽とも証明されていない命題をいう。リーマン予想や、1995年に証明されて定理となったフェルマー予想(フェルマーの最終定理)、京都大学の望月教授の論文で脚光を浴びているABC予想などが有...

デザインと規格

デザインとアートの違いの1つとして、それが複製を前提としているかどうかという点がある。デザインは基本的には複製を前提としており、再現可能なものである。   複製できるためには、それが何かしらのルール(規格)によ...

量子力学的

デカルトであったり、古典力学であったりの恐ろしいところは、その近似が人間にとってわかりやすい点だと思う。 結果には原因があり、それらは対になっている。分解と統合は可逆的である。これらは思考操作という、厳密性の低い脳内では...

健康であったり、病気であったりに関する議論はたくさんあって、「病気 = 身体が有している恒常性と現実生活にギャップが生じている状態」として、むしろ生活に関する振り返りと変化・発展の機会とする考え方もある。 それだけ、病に...

コミュニケーション

コミュニケーションが目的なのか、手段なのかというと、僕は「手段」だと思っている。理解についても同様で、理解はそれ自体が目的になることは稀で、ほとんどの場合は手段だと思う。 単純に、コミュニケーションや理解を目的にしてしま...

人間らしさ、機械らしさ

知的さには、基準と広がりがある。言い換えると「らしさ」があるということだと思う。子どもらしさ、大人らしさ、コンサルタントらしさ、クリエイターらしさ、日本人らしさ、イギリス人らしさ…。 子どもらしい大人がいたり...

知的とは何か

「あなたは人間ですか?」と訊かれたとする。理由は人それぞれだと思うが、多くの人は「おそらくはそう」だと思う。 では、「あなたは人間的ですか?」と訊かれたら、どうだろうか。少し難しい気がするが、なんとなく自身の「人間的な度...

扉が開かない時に、人は感覚的に「扉が壊れている」と思ってしまいがちだと思う。実際には扉が壊れていることはほとんどなくて、開き方が間違っていることが多い。 扉というのはただのメタファーで、霧というのか、無明というのか、そう...

不安

不安な人間というのは、「論理」に対して論理的でなかったり、「科学」に対して科学的でなかったりする。もっと言うと、「知識」に対して知識的でなかったりすると思う。 僕自身、論理、科学、知識に頼って振る舞っている時はたいてい不...

デザインの境界条件

デザインという行為に限らず、何かしらの形(解)を発見しようとする時には、法則(方程式)に加えて境界条件が必要となることが多い。 例えば、物理学における「ニュートンの運動方程式」は、(非相対論的古典力学において)質点の運動...