エッセイ 思考とデザイン Posted on 2019年7月22日 by 瑞月 思考という行為は現実を超えるところに価値がある。頭の中(というのは比喩的な表現だが)にあるものは、いわゆる論理的と呼ばれるものであっても、空想・妄想と呼ばれるものであっても、想像の産物である。 思考は想像であることに意味...
エッセイ ヒント Posted on 2019年7月16日 by 瑞月 ヒントを伝えることは、正解を教えることよりも難しい。(現実にはあまり想定しづらいが)仮に「正解」が1つだけある問題を考えた場合、正解に至る道筋は1つではないだろう。 まずはどの道筋でヒントを出すべきかを考える必要がある。...
エッセイ 量子力学的 Posted on 2019年6月27日 by 瑞月 デカルトであったり、古典力学であったりの恐ろしいところは、その近似が人間にとってわかりやすい点だと思う。 結果には原因があり、それらは対になっている。分解と統合は可逆的である。これらは思考操作という、厳密性の低い脳内では...
エッセイ 病 Posted on 2019年6月20日 by 瑞月 健康であったり、病気であったりに関する議論はたくさんあって、「病気 = 身体が有している恒常性と現実生活にギャップが生じている状態」として、むしろ生活に関する振り返りと変化・発展の機会とする考え方もある。 それだけ、病に...
エッセイ コミュニケーション Posted on 2019年6月10日 by 瑞月 コミュニケーションが目的なのか、手段なのかというと、僕は「手段」だと思っている。理解についても同様で、理解はそれ自体が目的になることは稀で、ほとんどの場合は手段だと思う。 単純に、コミュニケーションや理解を目的にしてしま...
エッセイ 扉 Posted on 2019年5月12日 by 瑞月 扉が開かない時に、人は感覚的に「扉が壊れている」と思ってしまいがちだと思う。実際には扉が壊れていることはほとんどなくて、開き方が間違っていることが多い。 扉というのはただのメタファーで、霧というのか、無明というのか、そう...
エッセイ 不安 Posted on 2019年5月4日 by 瑞月 不安な人間というのは、「論理」に対して論理的でなかったり、「科学」に対して科学的でなかったりする。もっと言うと、「知識」に対して知識的でなかったりすると思う。 僕自身、論理、科学、知識に頼って振る舞っている時はたいてい不...
エッセイ モノローグ Posted on 2019年4月18日 by 瑞月 人間がモノローグ(独白的)なのか、ダイアローグ(対話的)なのか、というと、モノローグであると僕は思っている。 身体表現を含めて、言葉というものが、ただそのままに行き来するということは、極めて困難だと思うし、なんなら、対話...
エッセイ 確かなもの Posted on 2019年4月12日 by 瑞月 僕は人間は孤独だと思っているし、「確かなもの」なんてものは無いと思っている。それは普通のことで、良いことでも、悪いことでも、喜ぶべきことでも、悲しむべきことでもなく、ただ、そういうものだと思っている。 ハン...
エッセイ 価値の所在 Posted on 2019年3月24日 by 瑞月 僕は、僕がいるという現象、その存在の構造や意味、に興味がある。もう少し広く言うと、価値の所在、に興味がある。 最近、「ルンバ」というロボット掃除機を買ったのだが、人間はなんて能力が高いのだろうと思った。ルン...