エッセイ 失敗 Posted on 2021年12月7日 by 瑞月 心理的安全、というとあまりにも陳腐かもしれないけれど、間違えることが妙に怖くなる時期というのがある。そういう時期に入ってしまうと、いろいろなことが楽しめなくなって、恐れてばかりというモードになってしまう。 ...
エッセイ 純心 Posted on 2021年11月15日 by 瑞月 純粋とか純心とかというと、なんとなくポジティブなもの、たとえば好奇心や志であったり、尊敬や愛情であったりをイメージしやすいと思う。 もちろん、理想は人の心の透明度を高くし、ピュアにするものの1つだけれど、理想に心身を没頭...
エッセイ 印象 Posted on 2021年11月6日 by 瑞月 2年くらい前に上野の東京都美術館で「コートールド美術館展」という展覧会が開催されていて、本当に偶然に訪問した。「魅惑の印象派」という副題がついていて、モネやセザンヌ、ドガ、ルノワール、マネなどの有名な絵画を一気に見ること...
エッセイ 幻想 Posted on 2021年9月10日 by 瑞月 僕たちが普通に見ているものは、脳が描いた幻想(ファンタジー)だという。それが儚い、とかいうことを主張したいわけではなく、物事をそのままに見ることはできないというシンプルな事象の話である。 一方で、僕たちは「あれはリンゴで...
エッセイ 積木 Posted on 2021年8月5日 by 瑞月 正義は、積み上げられた積み木の、パーツのどれか1つのようなものだと思う。 例えば、積み木でお城を作ったとして、その1番上にはある「積み木」がある。それを掲げて、人は「これが正義だ」と言う。あなたもこの「積み木」を積みなさ...
エッセイ 文章 Posted on 2021年7月6日 by 瑞月 いつもそうしているわけでもないし、それでうまくいっているというわけでもないのだけれど、なんとなく、書きやすい文章の書き方というものがある。 僕は基本的には、ざっくりと物事を理解する方が得意で、イメージや図解...
エッセイ 期待 Posted on 2021年6月29日 by 瑞月 期待を裏切られた時、人は憤る。「憤る」というより、怒り散らす、当たり散らすという表現の方が実際には近いかもしれない。 人(人に限らず、あらゆる生き物)はそれぞれが必死に生きていて、どうにか今を過ごしていると思う。これは別...
エッセイ 居場所 Posted on 2021年6月18日 by 瑞月 人がそこを「居場所」だと思うのは、どうしてだろう。なんとなく、居場所を求めている人はたくさんいるなと感じるのだけれど、どうあれば、そこが居場所だと思うのだろう。 「お友達」や「仲良し」という言葉を使う人の感覚も、僕にはよ...
エッセイ 役割 Posted on 2021年6月11日 by 瑞月 誰でもそうなのかもしれないけれど、僕は誰かと深い関係を築くのが苦手だという意識が強い。深い、もそうだし、ほとんどの人とは長い関係を築けない。 コンサルティングの仕事をしていた頃は、いわゆるリピートをもらうことも苦手で、だ...
エッセイ 外側 Posted on 2021年6月2日 by 瑞月 外側があるとは知っていても、そう簡単に外側を意識することはできない。それと同時に、外側を知ることが幸せというわけでもない。人間は誰しも、内側に生きている。 井の中の蛙、とはよく言ったものだけれど、そう考えている誰かもまた...