エッセイ 慣性 Posted on 2020年10月13日 by 瑞月 物体に慣性があるように、感情にも慣性があると思う。慣性というのは、ここでは一旦、「車は急に止まれない」みたいな話だと思ってもらえると良いと思う。通常、運動している物体は運動エネルギーを持っていて、何かしらの力を加えないと...
エッセイ 実在 Posted on 2020年10月9日 by 瑞月 普段はそれほど意識しないけれど、生きることは確かに辛いというか、哀しいというか、そういうことを感じることがある。 それぞれがそれぞれに生きていて、互いに主張があって、何かしらの希望を求めて生きようとしている。そういうこと...
エッセイ 自分 Posted on 2020年10月8日 by 瑞月 人間には「自我」というものがあって、基本的には自分の思い通りにしたいと思うものだと思う。眠いと思っている時に起こされるとイライラしたり、作業や順序を邪魔されてケンカをしたり、といった感じで、衝突することも多いだろう。 「...
エッセイ 考える Posted on 2020年10月6日 by 瑞月 考える、という行為を考えた際に、普通は何か対象や目的があって、それが解決されればうまく考えられたということになるし、解決されなければ考えるという行為として不備があった、ということになると思う。 例えば、テストの点数であっ...
エッセイ 綺麗な世界 Posted on 2020年9月27日 by 瑞月 加藤一二三は少年時代にある観戦記を読んで、「将棋には巧い手、いい手というものがあって、いい手を差し続けていけば成功するものなのだ」と受け止め、それが将棋観に影響を与えたという。 また、将棋を始めた頃に詰将棋の本を読んで、...
エッセイ 自分の眼 Posted on 2020年9月14日 by 瑞月 自分の眼で見ることは想像以上に難しいと思う。わかりやすい例で言うと、噂を信じてしまう、噂で印象を持ってしまう、他者の評価をそのまま受け止めてしまうといったことはあまりポジティブではないが、やってしまいがちだと思う。 もち...
エッセイ 怖さ Posted on 2020年9月10日 by 瑞月 何かを怖いと感じる時、それは何故だろうと思う。特に人というものを怖いと思う時に、僕は何に対して、それを感じているのだろうかと思う。 なんとなく、わからないことが怖いような気がするけれど、何がわからないのかは...
エッセイ 憤り Posted on 2020年9月2日 by 瑞月 幼い頃は、自分の目に見えること、自分の感じることでしか世界を理解できず、世界に何かを働きかけることができると思っている一方で、臆病で、むやみやたらと攻撃的で人を傷つけていたと思う。今もやはり人といると、そういうことをして...
エッセイ 健やかさ Posted on 2020年8月20日 by 瑞月 健やかに生きるということは例えば、きちんと睡眠を取り、ちゃんとした食事をして、適度に身体を動かし、知恵を求めて、なるべく簡素で清潔にして、欲を薄くして過ごすことだと思う。 人間には自分というものがあって、これがいろいろな...
エッセイ 均衡点 Posted on 2020年8月11日 by 瑞月 僕たちが今、そうだと感じていることは、基本的には現時点での均衡だと思う。人間関係にしても、ビジネスの競争優位(あるいは劣位)にしても、世の中の価値観にしても、国際政治にしても、様々なバランスによって、今の状態(均衡点)の...